映画『ある過去の行方』公式サイト

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『ある過去の行方』×アミール・ナデリ監督スペシャルトークイベント@新宿シネマカリテ

現在はニューヨークを作品発表の拠点としているアミール・ナデリ監督。この日はたまたま滞在していた東京で、同郷の後輩にあたるファルハディ監督の最新作『ある過去の行方』のトーク・ゲストとして久々に日本の映画ファンの前に登場!元気な姿を見せてくれました。 ナデリ監督とファルハディ監督との出会いは2008年トライベッカ映画祭。前々作『彼女が消えた浜辺』を出品していたファルハディ監督が、尊敬のあまりナデリ監督を会うなりハグし「あなたと同じ道を歩いていきたい」と熱烈に語りかけたそう。その後折に触れ親交を続けているファルハディ監督とその作品、さらにイラン映画と日本映画の深い関わりにまで話が及んだスペシャルトークの全貌をレポート!!

前述の出会いからさほどたたない2011年、ファルハディ監督は前作『別離』でアカデミー賞外国語映画賞を始め世界の映画賞を総なめ、世界的に注目を集める監督に。「今度は僕からハグしたよ、オスカーの獲り方を教えてもらわなくちゃね」軽口をたたくナデリ監督に対し、ファルハディ監督のリスペクトは変わらず「僕はこれからもあなたが作った道を歩いていきたいんです。」「僕が作った道を明るく照らしてくれて、ありがとう。」と応じるナデリ監督に、「その灯りをつけたのは、あなたです」と。

このイベントの前夜にもファルハディ監督本人から電話があり、本作『ある過去の行方』の感想を求められたそう。かつてナデリ監督から「テクニックは外国から借りても、描くのは自分の体験、心、感情でなくてはならい。それさえあればどの国で製作しても同じだ」とアドバイスされていたファルハディ監督は「僕は教わった通りにできていますか」と心配していたとのこと。その電話の後、朝までかけて本作を実に3回観たというナデリ監督は「実はまだ、本人にも伝えていないんだけど…」と前置きをしてから「彼は私が教えた通り、いやそれ以上に素晴らしい作品を撮ったと思います」「イラン映画は歴史が深い、僕と僕の仲間が今のイラン映画を作ったけれど、後から続いてくれる彼のような若手がいてくれて本当にうれしい。今日改めてそう思いました。」と心からの賛辞を送り、本作とファルハディ監督について語ってくれました。

「特に感心したのは、音の使い方。音楽が全く使われていないけど、それは科白のリズムが素晴らしいから。科白の間の使い方がいいので、沈黙が音楽の代わりになるのです。そしてすべての演出がまるでフランス映画のようでした。役者の立ち振る舞い、科白回し…イラン人の監督が演出したとはとても思えない。それにキッチンや寝室など、狭い空間での演出が素晴らしかった。実は狭い空間での演出はふつう難しいのです。でも彼はとてもうまくやっていた。イランの監督は学校に行かず、自分の経験から演出を学びます。現場で経験して、体の中に取り込んで吐き出す、彼もそのようにして学んでいったのだと思います。

なぜイラン映画には、彼のような監督が生まれて来たのか、皆さんにお話しましょう。一台の電車を思い浮かべてください。最初の駅で5,6人が乗り込みます。電車が走っていくと、次の駅にまた4,5人待っています。そしてまた次の駅。その電車が走っている道には戦争があったり、大変混乱していたり、嵐が来たり…。その電車は、イラン映画そのものなのです。どんどん走って、大変な地域を通り過ぎては、次々と監督たちが載ってくる。我々は40年前に乗り込み、小さな、誰も知らない男が一人、最後に乗って来た。それがファルハディ監督でした。私が彼とその作品に感じるのは"Honesty"です。彼は電車に乗った時、先に乗っていた監督たちに感謝の念を抱いていた、そして今もそれを忘れていないのです。これはなかなかできる事ではありません。 イランでは次の世代へと、自分の知っていること、経験したことを全て差し出します。私たちも次の世代へ全てを差し出しましたが、元々それを教えてくれたのは、実は日本映画だったのです。この映画の中でも、カメラは必要以上に役者に近づかない、絶対に。人物とカメラの距離感、私たちはそれを日本映画から学んだのです。そしてイラン映画、ファルハディ監督の映画では、自分のいいたいことを直接的に言わない。それは作り手が明言することではなく、観る者が発見するものなのです。そして私たちはそれを、日本映画から学んだのです。直接的に表現しなくていいんだ、ということを。 先ほども言いましたが、映画の芸術やテクニックは世界から学べばいい。でも、必ず自分の心の話しをしなくてはならない。それが映画なのです。パーソナルな経験を作品に絶対反映させるべきです。それこそがオリジナリティ、イラン映画が成功したキーワードのひとつでもあります。ファルハディ監督はそれをこの作品でも実践しています。でもみなさん、大切なことを忘れてはいけません。

彼はこれからの人、彼の乗った電車は、世界に向かって走り出しました。それがとても大事です。」

微笑んだナデリ監督が、「カァット!!!」と撮影現場さながらの掛け声で話を結ぶと、その熱量に揺さぶられた会場からは大きな拍手が沸き起こり、幕となりました。

アミール・ナデリ監督 プロフィール
71年の映画監督デビュー以降、オリジナル脚本による映画製作を続け、85年の『駆ける少年』89年の『水、風、砂』で世界的に評価を集めたアミール・ナデリ監督は、日本映画にも造詣が深く2011年には日本映画『CUT』を発表、スマッシュヒットを記録したことは日本の映画ファンの記憶にも新しいところ。
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